コラム「社長の試練」6:それは常に資金繰りの問題 (ep4竹田板金製作所の話)

ep4: それは常に資金繰りの問題 (竹田板金製作所の話)

バブル時代の銀行融資

今では歴史の1ページとなっているバブル時代こと。多分、その頃の日本のどこでもあった小規模中小企業の話をあえてしてみます。
今では、新設法人の会社の銀行口座を作るのさえ、手続きの煩雑さで、時間がかかるようになっています、中には口座開設さえ拒絶される新設法人があったりします。しかし、バブル時代の金融機関は誰に対しても簡単に、そして迅速に口座を作ってくれ、新規融資でさえ、簡単に承認してくれた。当時の若者は中・高・大卒に関係なく新卒で就職するとまず女の子と付き合うための小道具として車を欲しがった。入社半年、最初のボーナスを頭金として銀行からお金を借りて、車を買ったりしたものです。
その頃の日本人は誰でも勤務年数を重ねれば給料は自然と上がり、生活は豊かになってくものだ思い込んでいました。100万の定期預金は10年後には、2倍になり、その反対に100万円の借金の時価価値は10年後には2~3割に目減りするものだと考えていた。

竹田板金製作所の設備投資

竹田板金製作所(仮名)の社長、竹田氏は、同世代の地方出身の「金の卵」たちと同じく学校斡旋で京浜工業地帯のある板金会社へ就職し、そこで腕を磨き、40歳で会社を興した。
当時の日本の電気通信業は右肩上がりで成長していた。彼がつくった会社も前職の縁故で大手電気通信会社の子会社に取引口座を作り、その仕事をした。独立してからの彼の悩みは、自分の会社に最新機械設備がないため利益率の高い仕事が他の大手下請け業者へ回っていき、利幅のうすい仕事しか回ってこないということであった。

しかし、50代になって納品先ではじめてあった大阪系のメガ銀行の営業マンから、

「機械を入れ替えれば、もっと仕事がとれるんですね。どうです、思い切って設備投資をしてみませんか?会社で1億円、自宅兼アパート購入で1億円。わたしが審査部の決済をとりますので」

その営業マンは、初対面の竹田板金製作所の決算書も見ずに社歴を聞いて、そんな提案をした。竹田社長と銀行営業マンの接点は、納品先の大手電気通信企業と取引があるということだけだった。初対面の小規模中小企業に2億円もの借入を持ちかける金融機関。それは、メガバンクだけに限らなかった。農協も負けず劣らず何の事業経験のない都市部郊外の農家たちに賃貸用アパートやマンションの建設資金借入を持ちかけたものだった。そこに生まれる借金は、成長のスピードを加速させる黄金の燃料で、特に不動産活用資金には、失敗のリスクは皆無だという思い込みだった。たとえ、貸付先の企業が破綻しても、担保不動産を回収すれば損失は回避できるという考えだった。

竹田板金製作所は年商4千万円程度で、従業員3人と朝から晩まで汗水たらして働いたが、創業以来、赤字と黒字を繰り返し、毎月支払手形の決済に神経をすり減らす、鳴かず飛ばずの会社だった。
竹田は、今の工場に最新式の金型機械を導入すれば、売上は数倍になり、利益率も格段に改善していく、そうすれば自宅兼アパートの1億円も十分に支払っていけると考えた。
彼は、妻の反対をおしきり、金を借り、工場へ最新の大型板金機械を導入し、自宅も購入した。それから新しい機械の効果があらわれたのは、2年間だけだった。2年目になると親会社の大手電気通信会社が、中国への工場移転計画を発表し、竹田板金製作所の売上は落ちていった。もし、設備投資を精密板金の分野へ投資し、自分の事業ポジションを移行していたらこれほど、直接的に親会社の海外移転と売上減少が結びつくことはなかったかもしれないが、それは後の祭りだった。
その後、竹田は寝ても覚めても資金繰りのことが頭から離れず、躁鬱状態に陥った。

「絶対に盛り返せる」と思えるときもあれば
「もうだめだ」と絶望するときもあった。

気がついたら、何回か車をガードレールにぶつけ、軽い怪我をしたこともあった。これは自分が加入している生命保険ですべてを解決しようとする一種の自殺未遂だった。
(返済ができない、イコール、人生の終わりだ!)
竹田は、人生の終わりを、「地獄絵図」を想像し、得体のしれない「おばけ」を想像し、恐怖で体が震えた。

銀行との取引はあくまでも商取引

竹田がこの現状を乗り越えられたのは、ある事業再生のコンサルタントから
「竹田さん、銀行が一番にがてなのは何も財産のない方ですよ。財産のない方からは命までとっていかないですからね、その覚悟さえあれば、なんとか乗り切ることができますよ」
と言われたことがきっかけだった。
コンサルタントは、元金返済を据え置き時間をかけて、会社を再生することを提案したが、竹田は、その気力はなかった。コンサルタントから破産に精通している弁護士を紹介してもらい、計画的に不渡手形を発行し、1年をかけて、工場と自宅を手放し、生まれ故郷の長野に帰省した。
彼は、運良く、自分の失敗を隠すことなく笑い話にして、金型製作の会社の一介の職人として暮らすことができた。

日本人の死亡統計の死亡原因で2番めに多いのは「経済・生活問題」でこの数値は平成23年後頃までは7~8千人というものでした。これがここ数年は4千台に減少してきましたが、バブル時代はもっと多く、一種の国民病のようになっていました。これは「金銭消費貸借契約」で不義理をすることは「人間失格」と思い込まされる世の中の風潮があったためだと思われます。

「人命は地球より重い」

「借金で命を落とすことはない、これはあくまでも商取引である」

 

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