コラム「社長の試練」4:みんな裏切っていく『疑』【あれこれ疑うこと】)4:ep2:カラオケボックスの敗因
ep2:カラオケボックス(みんな裏切っていく)
2002年、大宮市のボーリング場の駐車場脇の空きスペースに創業した「カラオケわんわんボックス」は、料金が1人、1時間580円、ソフトドリンク飲み放題という当時では、画期的なサービスを打ち出し、近隣の中・高生を中心に口コミで評判になり、1時間待ちが常態化するような人気店となった。
創業者の栗原茂雄(仮名)は、コンビニエンスストアを3店舗経営していたがチェーン本部と売上金の入金処理の不正疑惑で裁判に負け、3店舗を手放し、無一文になった。それでも彼は、ずっと不倫関係にあった女性から開業資金を借りて、1年後にはこのカラオケボックスを開いたのだった。ルーム10室のうち半分は、専門工事業者が作り、残り半分は、ブルーシートを貼ったまま、半年かけて昔なじみの仲間と自分自身で、店を完成させた。資金は日々の売上金を貯めて充当した。
中・高生のお客様には「毎日工事中のカラオケボックス」として笑われたが、彼はそれをジョークにして接客をしていた。
2店舗目を開くときは、いくつもの物件を慎重に検討し、家賃の値引交渉も限界まで行った。2店舗目が軌道に乗ると銀行の対応も手のひら返しに変わった。3店舗目、4店舗目と出店する頃には、何十件という店舗物件を調査した経験から成功する場所が体感的にわかった。成功する出店は、町自体からにじみ出る活力、活気、そして人の流れであると彼は感じていた。それらが感じられる地域なら、あとは家賃の問題だけだった。その交渉が上手く行けばほとんど成功だった。4年後から毎年、4店舗前後の新規出店をつづけ、彼は埼玉県ではカラオケ業に関わる業者の中で知らないものはない存在になっていた。
創業当初、栗原が声をかけ、入社した従業員は、彼の昔のコンビニエンスストアやそれ以前のサパークラブの同僚や従業員だった。彼らは、賭け事でサラ金漬けになったもの、離婚して慰謝料で無一文のもの、喧嘩で臭い飯を食ったもの、ほとんどがいわば社会の落伍者だった。
そんな彼らに対して栗原の口癖は、
「みんなが年取っても暮らしていけるように賃貸アパートを増やし、ひとりひとりがその管理をやって収入を得れば、生活に困らないだろう。そのための土台作りが、今の仕事だ」
と言って、彼らの尻を叩いた。そして彼ら個々人の抱えているトラブルを解決するために弁護士を紹介したりして力を貸した。
しかし、昔なじみの彼らはそれでは釣り合わないほどの労働をしいられていた。店長として2~3店の管理をし、シフトに穴が開けば、17時間も18時間もぶっ通しで働かされた。出店のときには更に新店用の器具備品の準備やアルバイトの採用業務明け暮れた。

一方、店舗が10店舗、15店舗、20店舗と増えるにつれて、栗原は、付き合う人間も変化した。ライオンズクラブの社長連中や銀行の支店長クラスとゴルフをしたり、高級クラブに入り浸ったり、1台2~3千万円くらすのベンツを3台、4台も乗り回し、家も浦和の高級住宅街に豪邸を構え、年が30歳も離れた若い中国女性と再婚した。
そういった彼の生活は長くは続かなかった。若い中国女性は、金遣いがあらく、1年で離婚した。気がつくと昔なじみの従業員は全員いなくなり、彼の出店も25店舗で終わり、不採算店もでたので、17店舗に減っていった。
のちに栗原は、昔お世話になったサパークラブのオーナーの奥様が癌で入院中の見舞いで
「みんな信用ならない。裏切っていく」と吐き捨てた。
彼は、昔なじみの従業員がついてきてくれたら、みんなの老後のために賃貸アパートを数件建てて彼らの苦労に報いるつもりだった。
しかし、栗原の周りから人が離れたのは、彼が目の前の明白なものを見ないで遠くのはっきり見えないものを他人に押し付けていたからだった。人は、いつ来るかもしれない老後より、今見える身近な幸せを求めるものだった。

